退職した人がしばらくして感じる「もやもや」の原因は何なんだろう?の巻
こんにちは、お富(おとみ)です。
昨年末に退職して早1ヶ月半。
はじめは、「辞めたー!辞めちゃったー!」「やっほー!!」
という気持ちが大きすぎました。
祝福のケーキもみんなで食べたし。
私の場合は子供との時間をもっと取りたくて退職したため、
「これで子供たちと一緒にもっと過ごせるぞー!」「家事もがんばっちゃうぞー!」
と今までの空いてしまった隙間を埋めるべく、意気込んでもいました。
いい天気の時は空を見上げて、「あぁいい天気だなぁ」なんてほっこりできるし。
「みんな今ごろ満員電車で大変だろうなぁ」と部屋でぬくぬくしながら思ったり。
子供を昼に寝かしつけてそのままウトウト・・・なんて夢にまで見た光景ができたり。
まー最初の1ヶ月は小さな幸せを噛みしめる毎日でした。
家事もここぞとばかり大張り切り。数年に一度の大掃除みたいな事態になったり。
ただ、それが、なんだか長くは続かない・・・。
まだ1ヶ月半なのに、もうすでにモヤモヤした気持ちが心のどこかに巣くってしまった・・・。
これってみんなそうなんでしょうか?
仕事に対する後悔ではない。断じてない。
あのまま働いていたら、それこそ絶対に後悔していた。
何年も悩み続けた結果の退職だ。
なので、仕事に対するモヤモヤではない。
少なくとも私の場合は。
子供に対するモヤモヤ?
想定していたより一緒に時間を過ごせていないから?
2歳の子は母親を必要としてくれていて、それこそうんざりするくらい私にべったりな毎日だけれど、5才児と小学生の2人はだんだんと友達と遊ぶほうが楽しい様子。
朝早くから幼稚園や学校に出掛け、帰ってきて少し話をしたら、すぐ友達がピンポーンと遊びに来たり、友達の家に遊びに行ったり。夕方帰ってきたら、好きな本を読んだり宿題したりのそれぞれの自由時間。そのまま夕ご飯、お風呂、寝る準備、とバタバタ。
よく考えたら、幼稚園児と小学生については、一緒にのんびり話せる時間は、①朝ごはんのとき、②帰宅後におやつ食べているとき(ただし場合によりこれも友達が加わったり)、③夕ごはんのとき、④お風呂に入っているとき、・・・うむ、意外と少ないぞ。
平日は別に母親と一緒にさぁトランプ!とか、別にしないし、こちらもご飯の用意や洗い物、お風呂の用意に仕上げ磨き・・・と何かと忙しい。
あれ?思ってたより平日の子供との「のんびり遊ぶ時間」って、子供の方が忙しくてそんな時間が捻出できてないぞ?
忙しくてもまとわりついてくれるのは2才児のみ。
子供ともっと触れ合う予定だったのにー。
そのためにわざわざ母ちゃん仕事辞めたのにー。
なんて心のどこかで思ってしまっているのだろうか?
でも2才児を保育園に預けずに、ずっと一緒にいられる時間が作れているだけでもいいのではないか?
じゃーモヤモヤの原因はここではないのか?
次なるは・・・、夫に対するモヤモヤ?
家事のレベルや、子供の些細な変化への対応レベルは上がったのに、それに対するお褒めの言葉や労いの言葉がないことへのモヤモヤ?
んー違うなー。
別に夫に褒められたくてしていることではなく、自分の自己満足のためだもんな。
むしろ今までは「お互い仕事おつかれさんだな」と思っていたのが、
「一人だけ社会に出て働いて稼いできてくれて本当にありがとう」と思う。
私が辞めてしまった以上、これからよっぽどのことがない限りは働かざるを得ないという立場に立たせてしまったこと、これはモヤモヤではなく、素直にありがとうと思う。
やはり、私のモヤモヤは、社会に出ずに稼ぎがなくなったことに対するモヤモヤかもしれない。
今までは、きちんと社会に貢献している、という大きな自負があったし、
夫と同じレベルで稼いでいる、というプライドもあった。
それが急にぶしゅーんとなくなって、ただのぶら下がりみたいに感じているのかもしれない。
ママ友が、「主婦は稼ぎはないかもしれないし、のんびり過ごしているように見えるかもしれないけど、必要な存在。子供に何かあった時のために「待機する人間」というのは必要。」って言ってた。
これには納得したし、共働きの時は「待機の人間」がいなくて大変だった時が何度あったことか。子供が3人いればなおさらこれは必要と感じる。
「夫婦は運命共同体。夫が稼いでくれて、それをうまくやりくりするのもまた大切。2人で稼いでバンバン使う、という方法も、1人が稼いで1人が支出を最低限にするために出納番をする、という方法も、どちらも正しいと思う。」とも言ってた。
これも納得した。共働きのときは、一体いくら使ったのか何も把握せずに過ごしてた。今は主婦がいることによって支出ってこんなに抑えられるんだなーと元銀行マンとしては家計の収支を見て感心する。
だから主婦は肯定している。
しているのだけれど・・・。
やはり世間は「主婦なんて」という目が少なからずあるように感じて、それを考えてモヤモヤしてしまうのか?
子供がお昼寝している間も家の中で家事しかすることのない、この「社会に貢献してませんよ」の代表みたいな時間にモヤモヤしてしまうのか?
一体何なんだろう。
退職して良かったのか?
あれだけ考えた末の決断。
良かったに決まっている。
辞めていなかったら今も別のモヤモヤに苦しんでいたはず。
でも、やっぱり心のどこかで何かモヤモヤしている。
その原因が分かればもっと輝くのだろうか?
暮らしが変わると少し不安になる、そういう類の些細なモヤモヤなんだろうか?
書き綴ってみたものの、やっぱりモヤモヤの原因が分からない。
でも退職する前より、退職した今のほうが断然いい。
それだけは確かなので、
やっぱり退職して良かったんだろう。
幸せなんだろう。
もう少し時間が経ってもまだモヤモヤしていたら見つめ直してみよう。
バイリンガルな子供を目指そう!絵本を英語と日本語で読み聞かせ②
こんにちは、お富(おとみ)です。
バリキャリを辞めて、3人の子供の育児をしています。
やっと辞めたんだから、しばらくのんびりしたらいいのにー、
と母には言われるものの、3人抱えながらバリキャリしていた頃を考えると
時間が余って余って仕方がない!
もちろん、このゆっくりした時間の流れを子供と過ごすのは幸せ。
時間のかかる料理や、細かいところまで掃除できる、主婦合格!みたいな日々は嬉しい。
でも、何かもったいなくて。
ただ漫然と日々を過ごすことができない私。
バリキャリ後遺症といったところだろうか。
そんなこんなで、せっかくなので得意な英語を使って、
子供たちに英語に触れさせる機会を家で増やしています。
その1つが前にも紹介した、
「絵本を英語と日本語の両方で読み聞かせる」というもの。
やり方はとってもかんたん。
図書館で、外国語コーナーにある絵本を1冊選んで。
それと同じ日本語の絵本を選んで、2冊借りる。
夜の読み聞かせの時間とかに、日本語の絵本を読んでから、
それと全く同じ絵本を今度は英語で読む。
これだけ。
でも、これ、すごいんです。
だって、日本語で理解した絵本の内容を、その次に分からない英語で聞くと、
単語の1つか2つは子供でも結びつくのよ!
前はどろんこハリーを紹介しいましたが、
その後、読み聞かせている本はコレ。
日本でも有名な絵本だけど、海外での人気は絶大。
アメリカの小学校とかにいくと、壁一面にこの絵が描いてあったり。
日本でいうと、誰もが知っている絵本「ぐりとぐら」ってとこかな。
で、この英語版。
やはり原作はテンポがいい。
少しむずかしい表現も出てくるけど、
それは日本語版で読んでいるから読み手の大人も意味がわかる。
(これ大事。私は最初に英語を読んで、意味がワカラナーイってなったよ)
日本語を読んでから、すぐに英語版を読む。
子供たちも段々と慣れてきたようで、
日本語を読んだあと、さー次は英語だな、と待ってくれます。
日本語では「かいじゅうたち」、怪獣と断定しているものの、
英語版では「Wild things」=「野生のものたち」。
何なのかの想像は聞き手に委ねてる。
原作から入った方が子供にはいいのになー、
訳し方で完全に捉え方が変わるなー、と思っちゃうところ。
日本語版だけ読んでいると、見えてこない世界がある。
子供たちは、あったかいスープ、とか、
おいていかないで!、とか、簡単なわかりやすい箇所から単語を拾い始め、
何となく英語と日本語の結びつけがそれぞれにできています。
わざわざ英会話に通わせたりしなくても、
(図書館に足を運ぶ手間はあるけども)
夜の読み聞かせの一つの選択肢としてオススメです。
バリキャリが自ら考える「バリキャリの定義」
こんにちは、お富(おとみ)です。
私は昨年末でバリキャリを辞めました。
とか言ってるけど、そもそもバリキャリって何?
どんな人がバリキャリなんだ?!
と気になり、ちょっと調べてみることにしました。
私の場合、外資系金融機関に勤め、年収は30前後で1000万を超え、
毎年の営業評価は産休を取った年以外はSランクかAランクでした。
海外出張、残業、接待、割りと何でもこなしてました。
学歴もトップレベルの大学を卒業。
世間的に見て、「ザ・バリキャリ」みたいな人だったと思います。
私がここで定義づけるバリキャリは、
「男性と全く同じ条件で仕事をする人」
「一定年収以上」
この2つ。
男性と同じ条件で働くから、残業や転勤もあるし、営業なら接待も当然こなす。
歳を重ねると役職がついて、部下をもつ。
男性と同じ立場なので将来社長になる可能性だってある人。
一定年収以上、というのは家庭を養っていけるレベルで稼げていること。
結婚して子供ができても、その家族全員を食べさせていけるだけの収入を得ている人。
都心にいるか地方にいるかで基準の数値は変わるけど、
年収600万あたりが一つのバーかな。
この2つがバリキャリだった私が考える定義。
で、実際に定義なんてwikiとかにあるのかなー
ってピコピコ調べてみると・・・
何と!ちゃんとした定義は存在しない!!
ってことが分かりました。
割りと最近の言葉なんだろうなー。
いろいろとみたところ、よく言われている定義としては、
①仕事で上にのし上がろうという意思があり、それを実行しようと行動している
②プライベートよりも仕事を優先する
③一定年収、一定学歴以上である
こんなとこかね。
①の、「仕事で上にのし上がろうという意思があり、それを実行しようと行動している」というのは、つまりはバリバリ働いている男性と同じ条件で働いているってことだね。私も定義の1つとして同感。
②の、「プライベートよりも仕事を優先する」。これも同様か。
仕事を優先しないといけないときって結構多い。
トラブルが発生したら、当然友達との飲み会はキャンセルして仕事。
大事なクライアントとのミーティングが翌朝あるなら、それに向けて残業。
まーこれって、ある程度の給料をもらっているなら必要なことな気がするけどね。
子供がいるから仕事できませんって態度の人は、バリキャリから脱落した「ぶら下がり」だと思うので、子供がいてもギリギリまで仕事を優先させる人、だね。
③の、一定年収、一定学歴以上である。
一定年収はやはり世間平均の年収450万以上は稼いでいるってことか。
一定学歴は、定義としているところとしていないところがあるぞ。
中卒だろうが、高卒だろうが、抜きん出ている人はいっぱいいるしね。
起業家や社長などは学歴はなくともバリキャリって人いっぱいいるはず。
サラリーマンであれば、一定学歴以上ってとこか。
さらに「恋愛から縁遠い」みたいな書き方しているところもあったけど、
私はこれは違うなーって思う。
男性と肩並べて仕事してたら、いろいろありますよ。恋愛ネタは。
ま、それに割く時間はないのは事実だけどさ。まーそれはおいおい。
でもみんな割りとバリキャリってイメージは悪い模様。
かくいう私も胸を張って「バリキャリだ!」って思ってたけど、
あまりいいイメージは持たれていないなーって感じてたよ。
男性からも女性からもね。
子持ちバリキャリあるある ~アルバム写真の整理!やる時間ないし!~
こんにちは、お富(おとみ)です。
子持ちバリキャリやってました。
周りに同じような戦友が数は限りなく少ないものの、何人かいました。
1人産んだ子もいれば、2人産んだ子もいて。
3人産んだ子は・・・私は一人も知りません。
「3人産んで戻ってきたら、会社創立以来のことになるよ。」
人事にこんなことを言われました。
そして3人産んで復帰してみると、いろんな壁にぶつかりました。
3人いれば、子供たちに対してやることや考えることも3倍。
ただでさえ出張に接待に忙しい中、3倍の時間捻出は無理だったー。
「神様!私にだけ内緒で一日36時間ください!」って本気でお願いしてたし。
でも昨年末で退職し、時間にゆとりが出て、
さーやるぞ!って思ったのが、子供のアルバム整理です。はい。
これやらないとあっという間に何年分か溜まるんだよねー。
何年分か溜まると、全くやる気なくなっちゃうんだよねー。
子持ちバリキャリあるある、としましたが、
もしかしたら専業主婦でも一般職の人でも「あるある」なのか?!
そう、アルバム整理は何年もしていない。
周りの子持ちバリキャリ戦友たちにも確認済み。
みーんな、やってないってよ!そんな悠長な時間はないってよー!
だよねー。できないよねー。
あー私だけでなくて良かったー。「あるある」で良かったー。
って何の解決にもなってないし。
でも本当にバリバリ働いて、プライベートな時間は平日ほぼ皆無なバリキャリ。
さらに子供までいたら週末だってゆったり時間はほぼない。
子供と過ごすゆったり時間はあろうとも、
一人でのんびり写真整理してアルバム作ってーなんて時間。
あるわけねーじゃん!
私はそもそもあまり写真を撮るタイプではなかったものの、
やっぱり1人目が生まれてから一眼レフを買って、ビデオカメラも買って、
子供が熱出て会社休んだ日なんかは、ゆっくり寝顔を撮ったりしてたなー。
でもその写真を整理する時間。
その時間を捻出できたのは、ずばり、2人目の産休育休のとき。
「あー時間がある!復帰する前に1人目のアルバム整理しよ!」
そう思い立って、見事アルバム完成!ぱちぱち~
で、復帰してまたバタバタな日々が始まって。
2人目のアルバム整理する時間なーい!
そもそも写真やビデオを撮る回数も格段に減ってるけどー。
そんな感じでした。
そしてまたまた写真を整理する時間。
そう。3人目の産休育休のとき。
「さー時間ができた!作れるっぞー。」
ってなわけで、見事2人目のアルバム完成!ばちぱち~
これが現実ですよ、ダンナ。
キレイに写真が整理されていて、懐かしく見返すなんてこと、
バリキャリを妻に持ったらできるわけねーんです。
たくさんの写真から印刷候補を選び、印刷を依頼し、それを冊子にする。
そんな時間あるなら仕事しろ!
上司の声が聞こえてきそーだわ。
バリキャリの先輩女性は、
「産まれた時から一度も印刷してないなー。ぜーんぶパソコンの中に入ったまま。」
って言ってた。
子供1人だったら、次の産休中に整理・・・なんて出来ないからそうなるよなー。
無理もない。それでいいと思う。
むしろ「写真に撮らずに心に刻んでんだよ。」くらいに思って、
写真を撮ることすら放棄する子持ちバリキャリがいたっていいと思う。
でもこういう「小さいことだけど、していないこと。できていないこと。」って、
子持ちバリキャリには本当に多い。
時間は有限。だから仕方ないのに、何だか心がもやもやしたり。
難しいよね。
子持ちバリキャリあるある ~初めての○○に立ち会えない~
こんにちは、お富(おとみ)です。
子持ちバリキャリだった私。
あ、子持ちは続いているけれど(当たり前だろーが!)、
バリキャリだけ昨年末で辞めました。
バリキャリしていたことにほとんど悔いはない。
「ほとんど」と書いたのは、一つだけ「子供のことで残念だったこと」が。
それは、「子供が初めて立った瞬間に立ち会えなかったこと。」
私は1人目が生後6ヶ月のときに復帰した。
保育園に朝早くから、夜遅くまで、ガッツリ預けてた。
保育園に朝到着するまでは、「こんな小さいのに可哀想だな。」
「もっと一緒にいてあげたいのにな。この選択で合ってるのかな。」
なんて思っているものの、出社すると、
「昼のミーティングまでにこれ終わらせて、午後はこの企画に着手して・・・」
一気に仕事モード。子供のことをほとんど思い出すこともなく夜になる。
で、また保育園に迎えに行くと、途端に母親モード。
自分の中で、仕事人としてのモードと母としてのモードが代わる代わる!
でも結局、一日の大半は仕事してるわけで。
子供は保育士さんたちが見てくれているわけで。
ある日、
「もう少しで立ちそうですよー。」って言われた。
「えーそうなんですか!うわー感動!ママにもあとで見せてねー。」なんて言ってた。
ところがその後、仕事が忙しくなり、
送り迎えすべてを旦那にお願いする日々が続く。
確か10日くらいだったかなー。
旦那からの報告と保育士さんが書いてくれるおたより帳から、
「初めて一瞬立った」
「ちゃんと立った」
「立って笑顔だった」
「かなりしっかり立てるように」
「立つのが嬉しくて仕方ないみたい」
そんな様子だけを聞く毎日だった。
子供って成長が早い。
早すぎる。
仕事が落ち着いて、久しぶりに保育園にお迎えに行くと、
しっかり立ってるしーー!!!
初めて自分の目で確認できたってわけです。
立ってて嬉しー!感動ー!
となるはずが、私の気持ちはそうはならなくて。
母親なのに。
一番に見たかったのに。
ヨタヨタしてる様子も含めてこの目で見たかったのに。
母親なのに。
初めて立つところも見られないなんて。
そこまでして働くのか!?
それが望んでいたことなのか?!
初めて立って、
旦那も保育士さんもとても喜んでいるのに。
私は自分が情けなくて、悔しくて、悲しくて。
とてつもなく心が悶々としたのを覚えています。
子持ちバリキャリの先輩たちも似たような経験があって。
「初めての言葉はママじゃなくて先生だったよ。」
「初めての離乳食はお義母さんがあげてたんだよねー。」
「初めての発表会は行けてないんだー。」
みんな笑って話してるけど、きっとその時は悔しかったに違いないと思う。
私もその後、1人目に関しては、初めて歩くところも見れなかった。
2人目のときは絶対に私が最初に見る!って意気込んでいたのに、
結局見れなかったんだよなー。
3度目の正直で、3人目の時はめでたく立つ瞬間も歩く瞬間も見れて。
感動もしたけど、
「あーやっと見れたー。」って思ったな。
バリキャリ女性でなくても、男性であっても、
育児以外の時間で1日の多くを使っている人は少なからず「あるある」だと思う。
本当は1番に見たい。1番でなくともその感動が新鮮なうちに見たい。
そう思うだろうけど、そうできない。
でも。
本当に子供の成長は早いから。
子供にとっての1日は長いけど、
仕事の1日はまた来るから。
ちゃんと子供の成長の一瞬一瞬を見られる余裕がほしい。
なーんて。
頭では思うんだけどねー。
実際仕事はいっぱい溜まってて無理なんだよねー。
でも、後でボディーブローのように効いてくるのよ。
あの時本当にそんなに仕事忙しかったのかなー、
1日くらい、朝遅めに出社できなかったのかなー。
後悔先に立たず。
ですな。
子持ちバリキャリあるある ~ママ友なんていない~
こんにちわ、お富(おとみ)です。
今日は子持ちバリキャリのあるあるについて。
私は3人目を産んで復職して、壁にぶつかって、
人生見つめ直して、やりたいことやろうと思って、
で、バリキャリを一旦おりる決意をしたわけですが。
1人目、2人目、3人目、それぞれ産んで、
いわゆる「子持ち」で「バリキャリ」を何年かやりました。
まーしんどかった!
時が経つのが早かった!
一日36時間ほしかった!
私は子供を連れて海外駐在もしたので、
ほんと何年かは忙しすぎて記憶が飛んでるくらい。
で、近年増えてきたといっても、
まだまだマイナーな少数派の「子持ちバリキャリ」。
少数派でたまに「あるあるーー」と話すのが楽しかったな。
でもその少数派さえも周りにいなかった時期もあって。
一人で「こんなこともあるんだぜーー!こんちくしょー!」って思ってたんすよ。
そんな人がいるかもしれないので。
気持ち分かるよ、って伝えてあげたくて。
私なりの子持ちバリキャリあるあるを挙げていきたいと思いますです。はい。
今日はお題に書いたとおり、「ママ友なんていない」について。
私は1人目が生後6ヶ月のときに保育園に預けて働き出しました。
復帰してすぐにフルタイムで働きだし、当然のように残業も始まり、
毎日朝は旦那が送り、迎えは基本的に私というパターンを半年ほどやってました。
(半年後には残業増えすぎて旦那が送り迎えの大半を担当することに・・・)
当時私がいた部署で子持ちで復帰したのは私が初めて!
なので、だーれも周りに理解者はいなく・・・。
定時で終われるわけもなくて、何時間かは残業。
その後、猛ダッシュ(本当にその名の通り猛ダッシュ!!!)で、お迎え行って。
帰ったら、ごはん!オフロ!歯磨き!おっぱい!寝かしつけ!
片付け!洗濯!残った仕事!
まー家の中でも猛ダッシュ状態。
よくある光景ですよ。
雑誌や本にも書いてあるようなことを同じようにやってるバタバタな日々でしたよ。
でもね、雑誌や本によく書いてあるけど、現実はそうではないこと。
それは、「ママ友なんていない」ということ。
「お迎えが遅れそうなときはママ友を頼ろうー」
「ママ友を何人か作って子供のことを相談しようー」
「ママ友がいたら乗り切れることもたくさんー」
とか、書いてあるわけ。
ま、分かるわよ。
同じ働くママ同士、分かり合えることも多いだろうし、
送り迎えを融通し合うとか、たしかに上手くいきそうよ。
でも、「いつママ友つくるの?!」
「いつそんな立ち話する時間なんてあるの?!」
「ママ友なんて本当にいる人がいるの?!」
ってことですよ。
会社からすっ飛んで迎えに行くじゃん。
毎日ぴったり決まった時間に迎えに行けずに、
今日は18時だったり、昨日は19時だったり、一昨日は17時40分だったり・・・。
で?そんな私と同じタイミングで毎日会うママさんなんていないですけど?
声かけてみたいなぁ、気が合いそうだなぁ、なんてこっちが片思い中のママさんがいたとして、ラッキーなことにたまに出会えたとして。
こちらは猛ダッシュで髪振り乱して迎えに来てるわけよ。
化粧ドロドロ、ほぼスッピン状態。いや、スッピンの方がまだましか。
そんな状態で、「あらーこんばんわー。かわいい坊っちゃんですねー」
とか、言いたくないし!誰にもこの姿見られずに早く帰りたいし!
ってか、話しかけてもらえたとしても、ゆっくり話し込んでる時間ないし!
帰ってやることいっぱいあるんだから!
って、ならない?
子供の笑顔見て、「さー帰ろうねー」って笑顔で返しながら、
「家帰ったらまずはこれやって、その間にこれやって・・・」
頭のなかでスケジューリング。
そんな中、仕事で疲れてるのに、さらにママ友探しに体力つかえる?
いやー無理だわー。
ママ友ほしーって思うけど、でもそんなエネルギー残ってねーんだわー。
保育園といえども行事がたまにあったりもするよ?
でもそんな貴重な機会に旦那と2人で参加して、すこーし近くの人と話して。
で、終わり。
「今度お迎え遅れそうな時にお願いできるかしらー?」なんて会話にならないし。
信頼できる人かどうか、気が合いそうかどうか、そんな判断できるほど話さないし。
向こうが同じ気持ちかどうかも分かんないし。
むしろ旦那とはお互い忙しくてゆっくり一緒にいることさえ貴重なんだから。
夫婦の会話をも少ししなきゃ、くらいに思ったりするし。
これ、私の周りのバリキャリ同僚と話しててもよく聞く話。
「ママ友とかいるー?」
「いないいないー」「お迎えの時にあったりしないし」
「だよねー」
以上、チーン。
ママ友作って、分かり合って、助け合って。
それって理想論なんじゃないかな。
3時とか4時とか、比較的余裕があるお迎え時間を選択できている人だけの話だと思う。
本当にバリバリ働いてたらママ友を作る時間なんてないと思う。
少なくとも私はそうだった。
同僚とか、大学時代の友人とか、
私を主体として同じ立場の子持ちバリキャリの友達はいたとしても、
保育園や地域を通じて子供を主体として友達を作る、そういう「ママ友」は、
子持ちバリキャリにはいない!
そして子持ちバリキャリは更にマイナー少数派の道を孤独に進むのです・・・。
日本人ママ必見!子供の叱り方、各国事情
こんにちは、お富(おとみ)です。
昨日目にした光景。
お母さんが道に落ちていた石を投げながら歩いていた子供に対して、
「こら!やめなさい!」
って。
で、今日は世界で見る子供の叱り方について。
日本人は先程の話のように、道端でもスーパーの中でもどこでも叱る。
しかも理由は特に言わず、「やめなさい!」「だめ!」の一言ってことも多い。
「日本人は子供を叱るときにも理由をはっきり言わないよねー」
アメリカ人の友達に言われた言葉。
うーん、そうかも、ごもっともかも。
「石が人にぶつかって怪我させるかもしれないからやめさない。」
やはりこの程度の理由をつけて話さないといかんかな。
アメリカ人は理由をはっきり!わかりやすく!がモットー。
「石を投げてはダメ。なぜならば理由は1つ。誰かにぶつけるかもしれないから!」
こんなところだろうか。
論理的、子供も納得しやすい。
で、ポイントはアメリカの場合は親だけでなく、周りも同様に子供を叱る。
「ショッピングモールの中で走り回ってはダメ。私みたいなおばあちゃんがびっくりしてコケちゃうわ。聞いてくれてありがとう。嬉しいわ。良い1日をね。」
こんな感じで通りすがりの子供に赤の他人が気軽に声をかける。
そして「聞いてくれてありがとう」とか「良い1日をね」とか、
素敵な言葉もつけるので言われた子供はふてくされたりしない。
むしろ、ちゃんと聞いて、いいことしたぞ、みたいな気分になっちゃう。
だからプラス思考の国民が多いのかなー。
ドイツ人やフランス人は「延々と納得するまで諭す。語る」って感じ。
「どうしてダメだと思う?考えを言ってごらん。」
「そうだね、でも他にも理由があるよ。それはね・・・」
とにかく長いイメージ。
小さい頃からで慣れているのか、「もーいいって!」とならずに
神妙に聞いている子が多い。
叱るというより、「諭す」「語りかける」という感じなので、
親が感情的に「こらー!」みたいな場面にはあまり遭遇しない。
日本やアメリカと同様に、人前でも親がきっちりと叱る。
一方、人前で怒らないのが中国人。
子供は家庭の中で、家の中で叱られる。
日本人みたいにスーパーとか、ましてや道端で怒られたりなんて絶対ない。
「叱られる」=「悪いこと、恥ずかしいこと」なわけで、
そんな恥ずかしいことは他人には見られたくない、そんな気持ちが親が強い。
なので、子供においても人前で褒めたりすることはあっても、
「こらー!」なんて説教はしない。
家に帰ってから、「あの時のああいう行動はいけません!」と叱る。
あと、家庭よりも学校での教育が重視されているため、
先生は結構怒るし怖いらしい。
友達の家に行った時に、「そんなことしてたら先生に言うよ!」って言葉を何回か聞いたことある。
まーとにかく人前で叱らないので、「日本人は人前で平気で我が子のことを叱っていて本当にびっくりする!」ってよく言われるのよ。
中国人観光客が増えてきてますから。
銀座のど真ん中で自分の子供を叱るとき、ちょっと周りの観光客に気をつけて。
きっとすごくびっくりしてるから。ツイッターされてる可能性高し。
私は中国に子供連れて赴任してた時期がありまして。
その時に「絶対に部下を人前で怒ってはいけない」って何人もの人にアドバイスされたけど、本当にそう。これ中国人と接するときとっても大事だから。
人前で叱られないで育った人たちは、親でもないただの上司に大の大人が人前で叱られるなんて「恥」なわけ。
なので面倒でも必ず別室に呼んでから叱ること。
これ、中国人の部下を持つ時に気をつけることあるあるです。
あ、話逸れたね。
でも色んな国の人たちと接してきたけど、
やっぱり日本人って「以心伝心」「言わなくても分かるでしょ」みたいなところ、
強いなーと思う。
親は「言わなくても何が悪いのか、何で悪いのか、分かるでしょ。」って思うんだけど、かくいう私もそう思って説明を端折っちゃおうとするんだけど、やっぱりきちんと説明することが大切だね。
親も叱るときだけでなくても、説明する癖をつけなきゃな。
「何かを伝えるときは、きちんと説明をしなければいけないんだな。」ってことが自然と子供に身につくようにしたほうがいいんだろうな。
書きながら自分の子育てを少し反省しだしてきたぞ。
うーん、明日から頑張ろう。
ちなみに日本では、
「嘘つきはエンマ様に舌を抜かれるよ」とか言うけど、
キリスト教のママ友は、
「嘘をつくと天国に行けないよ」って言ってる。
各国ではどんな言い方をするのか、ちょっと注意して探してみよっかな。
面白いのが集まったら報告します。
ではまた。